『あの旗を撃て!』というタイトルの本が刊行された。
著者は尾形英夫さん。オタクならびに原オタクには言わずとしれた「アニメージュ」誌初代編集長である。副題に「「アニメージュ」血風録」とあるように、これは尾形さんのアニメ回想録。
版元のオークラ出版の名はどっかで聞いたようなと思ったら、なあんだ、尾形さんの企画で『マッドハウスに夢中!』とか出してるとこじゃないか。
で、こんな本です。

表紙画:宮崎駿(スタジオジブリ)
装幀:谷地内田哲夫(株式会社オープンハウス)
実は、尾形さんとは、面識もろくになく、きちんと挨拶したことは一度もない。
今でこそ、徳間という会社における、文芸のSFなど担当とアニメ部門の交流はさかんというかほとんど一体だが、当時はというと、社内的にはさして深い関係というわけではなく、僕がおつきあいがあったのはもっぱら、「SFアドベンチャー」がらみばかり。
おまけに、ぼくのアニメ・ジャーナリズムとのつきあいもまた、もっぱら「OUT」だったもんだから……。
そもそも、アニメの世界とからみはじめたのは、SF仲間のイラスト系グループとのつきあいからで、そこの人脈からできたガンダム同人誌「GunSight」をプロ出版としてグレード・アップしたのが、「OUT」版元のみのり書房から刊行され、現在は銀河出版から復刻版がでている『Gundam Century』。
企画したのは前記ファングループの創設メンバーであり、『ガンダム』では脚本家として文芸担当だった松崎健一さん。ぼくは、企画側唯一の編集仕事体験者ということで、デスク役。みのりの編集部での実務は、つまり、僕と当時の「OUT」編集長、大徳さん。松崎健一が所属していたスタジオぬえとの連絡ならびに進行担当が、現在ぬえ社員で『種』の設定考証やってる森田繁さんで、イラストとか執筆などが、ご存知美樹本晴彦や河森正治、大野木寛らの方々。
で、泊りがけでどしんばったんやってる間にも、「アニメージュ」や「アニメック」編集部の似たような話はもれ聞いていたのであるが、もともとSF仲間だった池田憲章さんなどをのぞけば、「メージュ」とのつきあいってあまりなかったんだよね。
っていうか、当時の「アニメージュ」と「OUT」の関係ってばきわめて微妙で、『宇宙戦艦ヤマト』ブームにのって、サブカル雑誌、「アウトサイダー」をちぢめて「OUT」として発刊したはずが実質アニメ専門誌になったのが「OUT」。一方の「アニメージュ」は、日本で最初に、はじめからアニメ専門誌として出発した雑誌。しかも、親会社の紙屋のええと3階にあたるのか、胸突き八丁の階段あがったぼろぼろのフロアにある零細会社みのり書房に対して、徳間のほうは出発点こそ、「トップ屋」(ルポライターを指す当時の差別用語です)上がりの康快さんが作った野党的会社とはいえ、出版社としてはすでに「大」の字のつく会社。営業力の違いもあり、たちまち部数を伸ばしていったのだが、そこはそれ、偉いヒトの間にはいろいろとあるわけで……。
で、そんななかで聞いてた噂を思いおこしながら、『あの旗を撃て!』を読んでみると、
やっぱり、ほぼぴったし聞いてたとおりの方でした、尾形さん。
「編集長」ってのは、映像の世界でいうと「プロデューサー」であり「監督」であり「シリーズ構成」でもありうるわけで、その中で、噂に聞く尾形さんは典型的なプロデューサー・タイプ。実務とか細かな企画立案とかよりは、「よっしゃ、これでゆけ!」って感じ。
その印象がまんま正しかったことがわかりました。
そうか、台割りやらなんやら細かい仕事は鈴木敏夫さんがやってたのね。なあるほど。
で、元映画青年だった鈴木敏夫さんが宮崎さんと仲良くなるのは当然で、その中から『風の谷のナウシカ』コミック版の企画が生まれ、尾形さんがゴーをだし、会社を説得して、例の鉛筆原稿(下書きはアニメにならって青鉛筆)のまんが連載がjはじまり、そして、PRのはずが、尾形さんのそれゆけどんどんと、康快さんの英断でいつのまにか劇場映画へとふくれあがりってわけか。
で、そんなこんながあるからには、「OUT」の名前が関係者執筆のコラムにしか出てこない(「アニメック」はまったく無視だし、「New Type」は「メージュ」移籍組がいるので言及)とこまではいいんですよ。
また、尾形さんのプロデューサー的立場からすれば、編集部寝泊り組やプラスごく一部をのぞけば、プロになりかけ、なったばかりのオタク連中の顔と名前が一致しなくてもしょうがないとjは思うのですけど……。
89ページの写真。
「1983年3月15日、梅名くん一行が上京した折り、森康二さん(前列中央)を徳間書店にお招きした。後列左端・梅名君、1人おいて筆者、右端は鈴木敏夫くん(写真は梅名くん提供)」

思わず、ぶっとふいてしまいました。
文中、梅名さんはフルネーム、「梅名英生」さん。神戸大学漫研のリーダーで、尾形さんがブレーンとして頼っていたお方。ご本人がよせられてるエッセイによれば、当時は大学院に在学、さらに、修士論文提出直前に大病をわずらわれ、アニメの世界からは長く縁遠かったとのこと。
ううむ、だからなのだろうか?
あのお、いっしょに映ってるのって、「関西の社会人ファンの方々」ばかりじゃないというか、関東の濃おい方々のほうが多いような気がするのですけど。
しかも、うち一名は、このときすでに「アニメージュ」で仕事してたかどうかは忘れたけど、尾形さんが編集長在職の間に連載もつことになった「アウシタン」出身のプロまんが家なんですけど(汗)。
いやあ、ちっちゃなことにはこだわらない、いかにも伝え聞く尾形さんらしいお話ではあります。
追記。で、僕が聞いてる伝説によれば、ガンダムの型式名「RX-78」の命名は尾形さんってことなんだけど、これってもしかして、鈴木敏夫さんの方?
教えて偉いひと。
も一つ追記。『あの旗を撃て!』のタイトルは、尾形さんも書かれているように、日本の映画作品から。
1944年、つまり大戦中の、東宝製作で、精確なタイトルは『あの旗を撃て-コレヒドールの最後』、監督は阿部豊で、脚本は八木隆一郎と小国英雄、主演は大河内傳次郎、「特殊技術」担当は、はい、円谷英二です。
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