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2004.07.24

1/1スコープドッグ

 いやあ、こちらのハロ記事にトラックバックしていただいた「むいむい星人」さんによる「むいむい星人さんの寝言」サイトで教えていただいたんですが、世の中にはすごいヒトがいます

BottomsFactory.jpg
kogoro,monkeyfarm

 何がすごいかって、1/1実物大のスコープドッグをただいま製作中の方がいるのであります。
 しかも、であります。
 バンダイ・ミュージアムなどでなじみの、こうした大型造形、本物の戦車じゃありませんし、ムクの鉄(とか重金属)なんかでフツーは作ってません。
 実際、本物の兵器、飛行機や戦車だって、重量あたりの各種の強度が高い複合材料なんかが主流となっており、分厚い金属でまるごと装甲を作っちまうなんてのは、やむをえざる部分のみってのが最前提。
 それを、架空のメカの、あくまでも実物大の「模型」となれば、よもや、鉄板で溶接して……って、……って、やっちゃうか普通????!!!!!

MONKEY FARM-- make a huge robot
「根気と根性でスコープドッグを作る。もとい、ブルーティッシュドッグを作ってる。」

>自分の根性を試したくなった。
>昔からプラモデルとかは好きなので、模型雑誌とか立ち読みしたりするんだけど、、
>最近のプラモは接着剤もつかわないらしい。
>誰が作っても同じ感じで出来上がる。
>こりゃ、子供も作る事に楽しさを見つけられないわな。
>作るとは-自分だけの物を根性いれて実現させる事っしょ。
>最近でかいもん作ってないし、おとなの根性をみせちゃる。
>やることはは叩いて曲げてくっつける。
>基本はこんだけ、多分プラモとおんなじ。
>ちなみに鉄板厚は3.2ミリ、これより厚いと重くてかったるい。
      ^^^^^^^^^^^
>薄けりゃ薄いで溶接すると曲がってしまい作業性が悪い。
 あっ、あのお、3mm強圧の鉄板を切って叩いて曲げて曲面作って溶接ですかあ!?

 うわあ、本業がオブジェなど製作の「鍛冶屋」さんなんですね。門扉から舞台装置からアートな彫刻まで。
 なるほど、わかりました、まいりました。

 ううん、別口でメールさせていただいて、ロボットとは関係ないほかの作品も紹介させていただきたくてウズウズしてるんですけど、ごめん、とりあえず、2点だけ、無断で画像、引用させちゃってください。

BottomsHead.jpg
kogoro,monkeyfarm

 このすごさは、やっぱり見なくちゃわからないし、明日の7月26日は、『MS IGLOO』のスタッフ試写で、で、監督をはじめ、からんでるスタッフ、スコープドッグとなれば、ああた、教えたげたいして、で。許してつかあさい。

 現在の製作進行状況は、blog「なんでも作るよ。今は巨大ロボを作ってる。」にてフォロー。
 最近の記事は「July 17, 2004 1/1スコープドッグ製作 腕」
 「July 13, 2004 1/1スコープドッグ製作 サイトが出来た。」

  で、特製のPCもスチームパンクでたまらないのだが、近々、別口にて紹介。
「July 14, 2004 10㎏ノートパソコンとガチャガチャMac」

 追記 「bottoms」って単語をURLアドレス以外にはいっさい使ってないのもしぶいところ。


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ケリー/エドワーズやおい

 まずは、愛読の「海外ボツ!News」に、こんなニュースが紹介されていました。

「海外ボツ!News」”メトロセクシャル”なボクたち"

 メトロセクシャルとは、アメリカの流行語で、ヘテロなのにゲイ的なファッションやしぐさをする男性の、そうした流儀のこと。
 Googleのイメージ検索(画像検索)で引くと、ベッカムさまを筆頭に217枚の写真が検索されます。

 で、アメリカの大統領選、二大政党候補が本決まりになる前、Googleを使った「大統領候補○○度ランキング」というページが特設されまして、
 はい、ここなんですが、

GoogleRace2004

 その記入例として、こんな文章が、

>Search for keywords or two word phrases, for example,
>'metrosexual' or 'rich wife' or 'war'

 要は1語のキーワードか2語で構成されるフレーズを入力してねということなんですが、この具体的な記入例として、「メトロセクシャル」とか「金持ちワイフ」とか「戦争」とかが挙がっている。
 つまり、記入例の筆頭にあがるほどに、「メトロセクシャル」ってのははやっていることばだということ。

 その、「大統領選候補メトロセクシュアル・ランキング」はというと、
 ……、
 あっ、ほんの3日の差で消えてやがる。

 ならば、遠からずトップページも消えるはず。(共和党大会が終われば、そもそもこんなランキングも意味がなくなる)
 で、GoogleRace2004の、タイトル・イラスト・ログを紹介。

KerryEdwardsgpresrace_title.jpg

 ま、時期を逸したのは確かだから、候補決定以前のデータはいつかは消えるはずなのだが、間が悪い。
 ならば、具体的に紹介すると、
 栄えある1位は、われらが(ん?)ケリーをおさえて、共和党のハワード・ディーン。中道リベラルだが、現役外交官の妻がCIAってなスキャンダルでつぶしにかかられた人物。すでに脱落。
 2位がケリーで、3位が旧ユーゴ派遣のときのNATO総司令官(民主党)のウェズリー・クラーク(脱落)、4位が反戦派リベラルのデニス・クシニッチ民主党下院議員、5位がブッシュ(息子)で、6位が民主党上院議員のジョー・リーバーマン(脱落)、7位が黒人で公民権運動家のアル・シャープトン(もちろん民主党)、7位が、この時点ではまだケリーとはりあっていたエドワーズ。

 おお、ハワード・ディーンは、メトロセクシャルだと思われてることを「誇りに思う」とまで言い切っているのですね。
THE SCHOOL THAT MADE HOWARD DEAN A "METROSEXUAL"
>LAST WEEK, HOWARD DEAN ANNOUNCED IN SAN FRANCISCO THAT HE IS
>"PROUD" TO BE CONSIDERED A "METROSEXUAL."

 この事件をきっかけに、「メトロセクシャル」という言葉がメディアに広がったのか。
Dean the Queen
 なるほどね。

 で、ここまではやおいとは直接の関係はない。

 と、こういった情勢の中で、民主党大統領候補がケリーに、副大統領候補がエドワーズになり、2人のツーショットがメディアに露出するにしたがって、「疑惑」というか「とまどい」が広がることとなったのでああります。

 なんか、この2人、妙に仲が良すぎるというか、くっつきすぎなんじゃない?

 そこで、アメリカのウェブ・ニュース・サイト
「Drudge Report」
 の2004年7月8日づけの
「お手々つないではなさない」という、2人の仲むつまじさを報じた記事というわけ。

drudgereport.jpg

 つまり、ゲイのファッションやライフ・スタイルを真似たストレートな男性カルチャーの域をこえて、ケリー/エドワーズのスラッシュ/やおい疑惑っちゅうのが浮上したわけです。
 でも、この報道の時点では、「海外ボツ!News」を読めばわかるように、ケリー/エドワーズ選挙スタッフからも余裕あるコメントがあったわけですが、ブッシュ陣営ってば、ネガティヴ・キャンペーンが大好きにきまってる。

 で、こんなやおいフラッシュページが作成されてしまいました。

KerryEdwards.jpg
 キスはするわ、お尻はなぜるわ、2人ってば、もう濃厚すぎる! っていう、もちろんツクリの画像アニメーションであります。

 これ、単なる大統領選萌えなのか、共和党サイドからの悪意あるネガティヴ・キャンペーンなのかは詳細不明なのかは不明ですが、一つだけ確実なこと。
 このページの「広告主」として表示されている「Wケチャップ」とは、反民主党を正面におしたケチャップ・ベンチャー企業であるということ。

 なぜ、ケチャップが大統領選に関係するかというと、詳しくは
「海外ボツ!News」の
ハインツ帝国に怒涛の侵略を開始した共和党系ケチャップ
 を読んでいただくとして、要するに、ケリーの奥さんはケチャップ寡占メーカー、ハインツのオーナーの未亡人でもあり、ケリーの影にケチャップ資金ありと陰口たたかれているわけで、だったら、共和党のみなさん、愛国的な新ブランド「Wケチャップ」を買いましょうというわけ。

 あっ、Wケチャップのサイトから、このフラッシュ・ページへのリンクはなし。該当ページの運営者も、Wケチャップとは直接の関係はないみたいで、この「広告」の正体もあやしいもんだってことだけは確認しときますね。

 というわけで、なにやらかにやら、米大統領選挙は、いろんな意味で「萌え」あがっているわけであります。

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2004.07.23

 地球防衛ミッション発動!

 ヨーロッパ宇宙機関(ESA)が、小惑星や彗星などの衝突によって地球に被害がおよぶことを検知し、また、防止するための新たな探査ミッションの計画案作成を委託していた諮問委員会の結論がまとまり、その内容が発表された。
 6つのミッションの中でも注目すべきは「ドンキホーテ・ミッション」と呼ばれるもので、探査体を地球近傍を通過するタイプの小惑星に衝突させ、その軌道を変化させられるかどうかを実地に検証する。

DonQuijote.jpg

 ドンキホーテ・ミッションは「サンチョ」と呼ばれる先遣探査体と、「イダルゴ」と呼ばれる衝突体から構成され、サンチョによる探査のち、イダルゴが標的となる直径500mほどの小惑星に相対速度秒速10kmで激突させ、その様子をイダルゴで観測し、地球からの観測とあわせ、軌道変化についても観測をおこなう。
 すでに、この地球には、シューメイカー・レヴィ彗星が1994年に木星に衝突した事件をきっかけに、アーサー・C・クラークの小説『宇宙のランデブー』(1973)と『神の鉄槌』(1993)からその名をとった国際団体「国際スペースガード財団」が結成されており、日本にも支部にあたる「日本スペースガード協会」が置かれているが、その目的は小惑星や彗星、人工天体の落下の危険を未然に、あくまでも察知するにとどまっている。
 今回の提案は、さらに次の段階。つまり、具体的な防止の可能性を実証しようというもので、大きな期待がよせられている、というか、必ずや、ラ・マンチャの男の突進で、かえって、小惑星が地球衝突コースに乗るというプロットの安手のSF映画が作られることになるだろう。
 ドンキホーテ・ミッションは、このまま受理されれば、2010年から2015年には開始される。

 なお、「ドンキホーテ・ミッション」は、
Don Quijote (Deimos Space, Astrium GmbH, Univ. Pisa, SGF)と、
 4つの機関の共同によって立案されているが、うち1つが「ピサ大学」というのも気になるところ。なに、傾きはしないだろうか、って、軽いツッコミだけなのだけど。

 ESAによる解説ページはここ
 詳細を論じたpdf(アクロバット)ファイルはここ。重いです。

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2004.07.16

人食いカンガルー? いや人食いパンダ?

 以下のニュースをみて、あせりまくりました。

豪で野生カンガルー凶暴化、千頭駆除へ…愛護団体反発> 
>【シドニー=樋口郁子】オーストラリアの首都キャンベラ周辺で、干ばつの影響で
>野生のカンガルーが凶暴化、人を襲ったり、畑を食い荒らす被害が相次いだ
>
> 今月初めには、キャンベラ北郊で、空腹のため凶暴化したカンガルーが
>犬を散歩させていた女性を襲い、けがをさせる事件も発生。

 えっ、カンガルーって、もしかして雑食だったの?

 あわてて、チェックに走りました。
 ところが、手元でまずは調べた平凡社の世界大百科だと、主に草食といった微妙な
書き方で、肉をたべることがあるかどうかは不明。
 ひえええ、もしかして人食いカンガルー?

 と、さらに、調べてみると、わかりました。

 小学館の百科、『スーパーニッポニカ』によれば、カンガルは、
>哺乳(ほにゆう)綱有袋目カンガルー科に属する動物の総称。この科
>Macropodidaeには約15属65種が含まれる。
 なんで、なかには……とも思えるのですが、
>狭義にはそのうち
>のカンガルー属に含まれる大形種をさす。
 わけで、カンガルー属が、いわゆる「カンガルー」のことであり、このニュースに
おける「カンガルー」だということをおさえた上でさらに読むと、

>小形種の一部に多少雑食傾向があるほかは、すべて草食性である。

 ああ、よかった。

 思わず、カンガルーの大群がキャンベラかメルボルンの街をおそって、逃げる群衆
を食いちらかすシーンを思い浮かべてしましまいました。


 ちなみに、パンダは、歯の構造など、解剖学的には、露骨な肉食動物的特徴をもち、
そもそも、分類は、『スーパーニッポニカ』によれば、
>哺乳(ほにゆう)綱食肉目パンダ科

 さらに同事典によれば、

>野生のものでは、魚、小動物を食べたという記録もあり、ロンドン動物園ではニワト
>リのもも肉、上海(シヤンハイ)動物園ではウシの肋骨(ろつこつ)を炭火で焼いたもの
>を与えていた例がある。
 そうで、原生種も立派な雑食動物です。

 ……
 で、さらに調べてみたら、パンダの命名は、レッサー・パンダへのヨーロッパ人の
呼称から。

>シンプスンという名のインド探検家が、「ニャリア・ポンガ」(このネパール語がな
>まって「パンダ」という、意味のない言葉になりました)の生きた個体を3頭捕え、
>その内の1頭を(かなり哀れな姿になってはいましたが)ロンドン動物園へ持ち帰り
>ました。
>彼は動物園の園長バートレットに、航海中この動物に米の飯と草と干し草とミルクを
>与えたと語り、バートレットはこの動物虐待を嘆きました。
>彼がその捕獲者に断乎として、肉食動物の健康を保つには新鮮な肉が必要である、と
>語ったであろうことは想像に難しくありません。
 で、下記の「パンダ」はあくまでも「レッサー・パンダ」のこと。
>シンプスンが彼に反対して、自分が問い合わせたところではパンダは純粋な草食性だ
>と述べたときにも、バートレットはただ軽蔑の笑いを浮かべて、この死にかけている
>「キツネネコ」のために上等のニワトリとハトを用意しました。
>しかしパンダは肉には見むきもしませんでした。
 そこで彼は自分の庭にレッサーパンダを放して、どのえさを選ぶか実験してみた。
>それから起こったことは肉食動物のあらゆる習慣に反していました。
>この飢えて憔悴しきったパンダは熟れずに落ちたリンゴの方へはってゆき、それをむ
>さぼり食ってから、木の葉と若芽を少し食べ、このオードブルの後でバートレットの
>バラの茂みに直行し、そのつぼみと花をたちまちかたづけたのです。
>著者) ヘルベルト・ヴェント
>発行) 株式会社 平凡社
> 世界動物発見史
> 1988年8月25日 初版第1刷発行
「レッサーパンダが好きです」

 あれれ? もしかして、『スーパーニッポニカ』の記述って、上記の事実が伝承さ
れるうちに発生した誤伝?

 しかも、レッサーについては、
>姫路セントラルパークと池田動物園のレッサーは、肉食を実践してミンチを食べてい
>るのである。
 こんな記述もあり。

 だったら、ジャイアント・パンダもって、も一度確認してみると、
 ふむふむ、
>Q3.パンダは肉も食べる?
>A3. パンダが食肉目に分類されていることからも分るように、肉も食べる。
>野生のパンダは、魚やねずみ類も食べるらしい。 1958年にロンドンにやって来
>たパンダ「チチ」は、ローストチキンを食べていたし、 ワシントンの動物園ではド
>ックフードやキャットフードも与えている。
>ただ、絶対に動物タンバクが必要でもないようで、 上野動物園や北京動物園では肉
>類を与えていない。
>パンダは、肉食を忘れた肉食獣ということだろう。
>(参考書籍)
>パンダ日記,中川志郎,新潮社,ISBN4-10-125703-5
>パンダ,R&Dモリス,中央公論社

 おお、チキンを食っていたのは誤伝ではなかった。

 やた。やはり、立派な肉食獣。

 となれば、竹飢饉なぞおきたひにゃ、
 パンダの大群が成都の街をおそって、逃げる群集を……って、そもそも、追いつけ
ないぞ→自分。


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2004.07.12

ぐにゃぐにゃロボット

 風野春樹さんの「読冊日記」で紹介されていた立命館大学ロボティクス学科の平井慎一教授開発している「ソフトロボット」をチェック。

softrobot.jpe
立命館大学理工学部機械システム系ロボティクス学科集積機械知能研究室(平井慎一教授)

 論文はここ。アクロバット・ファイルなので重いけど。
杉山勇太, 平井慎一, SMAファイバーを用いた柔軟円形ロボットの変形移動, 計測自動制御学会システムインテグレーション部門学術講演会, pp.1112-1113, 2003


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SFファンダムファン国会へ

 つい一昨日、1960年代から1970年代初頭の日本のSFファンダム史に名前を残したビッグ・ネーム・ファンが、参議院選挙に立候補していることが判明。

 2004年7月11日の投票の結果、同日、夜半、当選が確定した。

 参議院選挙秋田地方区に立候補した鈴木陽悦氏で、投票結果は以下の通り。

秋田県
有権者 964,115人 投票率 65.32%
定員 1  開票 終了

    党派  新旧 当選  得票  得票率  年齢
1  鈴木 陽悦    無  新   当   310,657   50.2%   55
  斉藤 滋宣   自民  現       265,419   42.9%   51
  今川 和信   共産  新       43,324   7.0%   39

 鈴木陽悦氏は、1949年、秋田に生まれ、家族とともに東京に転居、中央大学付属高等学校を経て、中央大学経済学部に進学、当時、神田駿河台にあった中央大学キャンパスで、SFファン活動に活躍。
 1971年に卒業、1969年に設立されたばかりの秋田テレビにアナウンサーとして入社、キャスター、プロデューサーなどの職務をつとめたのち、2003年に退社、秋田をアピールする、コンセプチュアルなレストラン「なまはげ」(フランチャイズ元「マネーの虎」で知られる安田久氏)を、秋田地元の仲間とともに東京に開店、この過程で政治の改革の必要性を実感、参議院選に民主党から立候補することとなった。

 氏が中央大学に在学していた時期は、日本の現代SFが最初の成熟期をむかえた時代であり、ファン活動の中心もまた、「大人」である第一世代(とはいっても二十代の社会人が中心)から、まんがや特撮映画、アニメを原体験とした若い世代に移ろうとしていた。
 学生運動や反戦運動、ロック・カルチャーやアングラ文化の勃興と機をいつにしていたこともあって、そうしたファンたちは創作や評論といったシリアスなファン活動(サーコン)よりはむしろ、パロディーを含む遊び指向へと向かった。
 SF作品そのものよりは、SFという共通の趣味を介した仲間の遊び、同人誌(ファンジン=ファン・マガジン)や例会を介したコミューナルな側面に楽しみを見出した、これら新世代のファンは、ファンの世界を意味する「ファンダム(ファン界)」から、ファンダム・ファンと呼ばれた。

 「反体制」がデファクトなライフ・スタイルであり、同時にパロディーやキッチュが文化的なキーワードとなった時代である。
 彼らの活動は、日本におけるSFの送り手2人、商業出版物である「S-Fマガジン」編集長の福島正実氏や、ファンの立場から月刊の同人誌(のち会員制個人誌)「宇宙塵」を発行していた柴野拓美氏との間にも、軋轢を生み出した。

 そうした悪ふざけの中心にあったのが、中央大学SF研とその周辺の人脈だったが、鈴木陽悦氏は、「バグ」「革バグ」「宙軍」(のちの「宇宙軍」とは無関係)といった政治的なイチビリ系列とは一線とは微妙な関係を保ちながら、お遊び性を正面にだしたファンジン「ブルードリーム」を発刊、のちのお遊び系集団「ショッカー」などにも影響を与え、日本の青少年ファンダム史に名を残すことになる。

 このあたりの事情は、ミュージシャンでもあり、日本の青少年ファンの嚆矢ともなった難波弘之氏による、1973年の同時代レポート『青少年ファンダム小史』に詳述されており、同レポートや、同レポートに関するディスカッションの記録は、現在もウェブ上で閲覧することができる。


 鈴木陽悦氏については、このレポートの4ページ目に、こう記されている。

>十二月、「バグ」9号(変身)が亀田俊一氏の手によって出され、附録として青
>木夢男こと鈴木陽悦氏の「ブルードリーム」がつけられた。翌一九六九(昭和四
>十四)年一月にこの「ブルードリーム」は鈴木陽悦氏を会長とするクラブとして
>独立した。SFファン活動に新しい傾向の楽しさを与え、フォークソング集会、
>ラジオドラマ製作など、創作よりも会合の交歓に重点を置き、出版物も『アメリ
>カの標準型ファンジンの感覚に近い』(C・R氏)活動を始めたわけである。こ
>の感覚はその後ファンダムに定着し、“ショッカー”などのグループに受け継が
>れている。ところが、この感覚は同時に、あまりにも会合なれのしたSFファン
>の閉鎖性と相まって、会合に出てもただ騒ぐだけで、SFについてのまともな議
>論がしにくくなるという結果をも生むことになった。
(C・R=小隅黎=柴野巧美氏)

 なお、山本弘氏が会長をつとめる「と学会」で、僕と同じく運営委員をつとめる、超常現象研究家(ただし懐疑派)の志水一夫氏からの教示によれば、中央大学卒業後の1973年に、その世界では知られるUFO研究会「日本宇宙現象研究会(JSPS)」を、現在もUFO研究家として有名な並木伸一郎氏とともに設立したとのこと。


 1993年には、秋田テレビでの特番をもととした、「日本の秋田にピラミッドがあった」という内容の、
 『クロマンタ 日本ピラミッドの謎を追う』(鈴木陽悦、評論社、1993)という本を発行している。

 この本、信憑性はともかく、この種のトンデモ本としては、実に誠実で丁寧に作られている。

 アマゾン・コムには注文在庫ありとあるが、実際には版元のデータベースにも存在しない。絶版であろう。

 「復刊ドットコム」あたりからの働きかけによる再刊、参議院当選を機会にどなたかしかけてみると面白いかもしれない。

 なお、鈴木陽悦氏は、HongKong(本荘SFローカルコンベンション)を主催する秋田SF研究所(旧本荘SF研究所)活動にも協力しており、2006年には、同会を中心として、第45回日本SF大会の開催が予定されている。

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2004.07.10

がんばっていきまっしょい

 『がんばっていきまっしょい』(1998)を、ひさしぶりに観る。

GanbatteIkimassho

 うるうるする。

 にしても、このカメラ、うまいなあ。映画ってあくまで動く絵だから、瞬間瞬間の構図が決まりすぎてしまうと、逆にイヤミになってしまいかねず、キューブリックみたいに完全に開きなおってしまうしかなかったりするのだが、適度なゆらぎというかぬるさを残した上での、このフレームの決め、すごい。

 1998年?、10年前から使われなくなった伊予東高校ボート部の、海岸の部室跡から始まり、1976年から1977年にかけての伊予の高校の女子ボート部を描いた佳作。

 田中麗奈のデビュー作だが、一部大きくなりすぎた男子の「よい子」の間で、ロケ地もうでがおこなわれるなど、カルト作品となった。ちょうど『時をかける少女』原田知世版の時の尾道もうでと似た現象で、舞台も近いが、映像的な作品の資質はまるで異なる。

 そうか、新版のDVDには、撮影日記映像がほとんど加工なしに収録されてるんだ、観てみたくなったなあ。

 原作は敷村良子の同題作品。第4回「坊ちゃん文学賞」(1995)受賞。翌1996年、マガジンハウスより刊行。

GanbatteIkimasshoNovel.jpg

 現在、復刊ドット・コムで投票受付中

 同じ著者には、ほかに、
>坊っちゃん列車かまたき青春記 敷村 良子/著; 毎日新聞社; 02022479
>明日は明日のカキクケコ 敷村 良子/著; マガジンハウス; 98035525
>ふだん冒険記 敷村 良子/著; 創風社出版; 98030644
 があり。


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2004.07.06

浅川マキ 渋谷毅/セシル・モンロー in Pit Inn,Shinjuku

 ひさしぶりの浅川マキさん。1年半か2年ぶり。

AsakawaMaki040629.jpg

 授業が小田急線の成城学園前で6時おわりなのであせって、新宿のピット・インへ。
 当日のチケットを購入。

AsakawaMakiTicket.jpg

 入場時間は8時。
 待ち時間の間に、同じビルの上のヲタク・ショップYelleow Submarineへ。プラモとフィギュアとカードのお店。改装中で1フロアのみの営業。ひさしぶりのをた店で、ドールの進出ぶりにちょと驚く。いや、押井守の『イノセンス』に教えられるまでもなく、ブームには気がついていたのだが。
 隣りのビルのボークスも、ドール関係が占領している。
 ピット・イン六本木は店をたたんだという。結局、一度も行かなかったわけだ。
 同じ地下フロア向かいのハード・ゲイ・ディスコ、ノンケお断りの掲示が出てた店、入り口の店名はほとんど消えてるわ、掲示もなくなってるわ、ぎんぎんの音楽も聞こえないわ、でも、ときどき、人の出入りはあるわ…。どうなったのだろう?
 メンバーは渋谷毅さんのキーボードにセシル・モンローのドラムス。

 そういや、ここピット・インで渋谷さんのジャズ・オーケストラにゲスト金子マリさんを聞いたのは、もう2001年のことだったのだ。カルメン・マキさんも、よくいっしょに演奏するミュージシャンに渋谷さんの名前を出していたし、実にもう、軽やかなまでに腰の軽いひとである。

 浅川マキさんに話しをもどすと、月例、日曜夕刻のアカペラ+若手ゲスト・ミュージシャンも、しばらく聞いていない。

 客層はてんでばらばら。
 若い連中が、一部、としよりの昔のジャズ乗りのかけ声に、びくっと反応するのが面白い。
 そおいや、縦ノリ、全員スタンディングは定着したが、歌舞伎以来のあいの手文化は、いまびのロックがらみには忘れ去られているようだ。
 アニメ『人狼』の男ビールを思い出す。これもまた、失われた「男」ノリ文化なのであろう。

 カルメン・マキさんと同じく、知り合いにその名を言うと、「えっまだいたの」
 失敬な。
 そういえば、ネットで昔、「ぼくの若い頃は浅川マキというひとがいて」と、うれしそうに解説してみせてた「知識人」がいたが、年老いて古くなってしまったのは浅川マキさんではない、絶対安全な過去を介してしか語らない自分への反省完全欠如のあんたの方だ。
 かつて、酒場のとまりぎ全共闘というのがいた。俺の若い頃はなあ、警察と正面からぶつかって石投げて、それに比べると今の若いものは……。
 当時、党派でびしばし戦ってた友人いわく。
 「計算あわねえぞ。壮大なるゼロと呼ばれた、ベ平連なんかの軟弱な連中を含めた全国統一行動の時でさえも、その動員数は20万人ちょっと。ましてや、石投げて、旗ざおでマル機と派手にやりあって、火炎瓶作って投げて、検挙、逮捕されたやつとなると絶対数は、同世代の若いもんの中でも圧倒的に少ない。どう考えても、偉そうに説教してるやつらよりも圧倒的に少ない。しょせん、酒場のとまりぎでくだまいてるだけのパチモン全共闘だろって」
 言ってたのは、村上龍『69』のモデルにもなった人脈の一人だけどね。

 80年代のことだが、同じことが、浅川マキさんをめぐる言説にも言えそうだ。

 ふん、「かもめ」とか「夜が明けたら」あたりの天井桟敷がらみのひとたちが一瞬だけ超メジャーになった頃へのノスタルジーだけで偉そうに言うんじゃないやい。

 あんたは蠍座にいたのか? ぼくはいなかった。そもそも東京にいなかった。
 あんたは渋谷ジアンジアンにいたのか?
 キッドアイラックホールにいたのか?
 池袋文芸座にいたのか?
 文芸地下ルピリエにいたのか?
 新宿ピット・インの浅川マキを聞いたことがあるのか?
 直立猿人を聞いたことあるのか?
 少年IIを知っているのか?
 あのアカペラを聞いたことあるのか?

 終わってしまった、昔のことになってしまったのは、マキさんではない。
 あんたの方だ。

 エッセイ集を売っていた。

 まる一年以上、聞いていなかったことになるのだが、驚くべきことに、2004年7月に2刷がかかっている。

AsakawaMakiKonnafuhni.jpg
ジャケット写真:田村仁

 感想はまた別の機会に詳しく述べるべきだろう。
 しかし、コミック誌「ネクスター」連載エッセイって、そこまで読んでないよ、まったく。
 驚かされるのは、見開き2ページにわたるディスコグラフィーに登場する、ジャズ、ロックを問わぬ、そうそうたる顔ぶれだろう。

 単行本のタイトルともなったヴィデオ『幻の男たち』も再販になっていた。

 1984年池袋文芸座、京大西武講堂でのライヴを記録したこのヴィデオに参加したミュージシャンは近藤等則、向井滋春、本多俊之、渋谷毅、後藤利次、川端民生、飛田一男、セシル・モンロー。

AsakawaMakiMaboroshinoOtokotachi.jpg
制作演出:田村仁

 田村仁さんについても、機会を改めて。

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マレーヴィチのTシャツ

 6月29日 浅川マキさんのライヴを予定。朝、迷った上で3年前、9.11テロ直前に行ったロシア旅行のおみやげ、カジミール・マレーヴィチのTシャツを着る。
 コンビニのカラー・コピーのA3サイズからさらにスキャンした映像はこれ。

Malewitsch.jpg

 スキャナーで直接とりこんだ図柄部分だけだと、これ。
Malewitsch2.jpg

 カジミール・マレーヴィチは、ロシア・アヴァンギャルドの旗手。ペレストロイカ、ソ連崩壊の中で再評価され、サンクト・ペテルブルグのロシア美術館でも、独立のコーナーがあり、たのしみにしていたはずが、特別展でなし。ぶうくさ言ってようやくみつけたのがTシャツ2枚であった。
 リトもあったのだが、美術品骨董品扱いだと関税2倍になるからよしたがいいというガイドのお言葉でパス。

 ネットで確認したら、
『マレーヴィチ考--「ロシア・アヴァンギャルド」からの解放にむけて』、大石雅彦、人文書院、2003.
『無対象の世界』「バウハウス叢書」、カジミール・マレーヴィチ (著), Kasimir Malewitsch (原著), 五十殿 利治 (翻訳)、1992/1995。
『マレーヴィチ 現代美術の巨匠』、セルジュ・フォーシュロー (著), 佐和 瑛子(翻訳)、1995。

 と日本語の本が3冊も出ている。
 僕が関心を持った1990年代初頭には、英語の本でさえ一冊しかなかったはずなのだが。

 実は、ロシア革命/内戦後のNEP(新経済計画)期、芸術面での百花斉放の時代に、唯物論者のための「信仰」と「崇拝」の対象として、幾何学的でいかなるなまぐさいメタファーを含まない立体の採用を提唱したことでも知られている。単純な直方体が崇拝の対象ってことは、……『2001年』のモノリスである。
 この時期の彼の写真には、腕時計をしているものがあるのだが、これは『腕時計の誕生』の著者である僕くらいにしか興味は持てない事実だろう。

Malevitsch.gif
Казимир Малевич


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ばんぺいくん・フィギュア

 ふと思い立って、TVの横においてあった「ばんぺいくん」フィギュアをコンビニのカラー・コピー機でスキャンしてみる。
 カラー・コピー機は、スキャン方式のカメラと考えると、意外に焦点深度が深く、ご家庭のスキャナーにかけられない大判の素材の場合、いったん、コンビニの店頭で縮小カラー・コピーしてからさらにデジタル・スキャンすると、不思議な質感が得られる。
 これを小さなフィギュアである「ばんぺいくん」で試してみたわけだ。
 「ばんぺいくん」は講談社の「アフターヌーン」連載の藤島康介作『ああっ女神さまっ」のサブキャラ。海洋堂の造形により、2004年7月号の付録となった。

 まず、コンビニ・コピー機→ご家庭スキャナー経由の画像

MegamiSamaBanpeiKunCVSCopy.jpg
藤島康介/アフターヌーン・講談社 海洋堂

 縮小すると、結構いける。
 つづいて、直接、ご家庭用スキャナーでスキャン
 げげげげ、これだったら、バックさえ工夫すれば、ブツ撮りにそのまま使える。
MegamiSamaBanpeiKunScanner.jpg
藤島康介/アフターヌーン・講談社 海洋堂

 下手にデジタルでマクロ撮影するよりずっといい。


 

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2004.07.04

変わらないもの Carmen Maki & Salamandre

 6月25日金曜日
 午前の高田馬場の授業「電話」は「パソコン通信」編。
 考えてみれば、これだけで、半期半コマの授業ができるネタ。ただし、精確な史料はすでに失われつつあるが。
 「2ちゃんなんてのどかなもんだよ」といった年寄りの自慢話はひかえる。
 生田の授業。19世紀末のオフィス・オートメーション革命、機械式計算機+キャッシュ・レジスター編。
 レポートのテーマも「日本の機械式計算機(計算尺含む)」とする。
 来週はホレリスのパンチカード・システム。
 授業終了後、浅草へ。

CarmenMaki040625.jpg

 河を渡って、アサヒビールのイヴェント・スペース。
 つまり、上に黄色いウンコののっかったアレである。

 予報じゃやむはずだった雨の中。となりの社屋ビルのかげで待つ。
 カルメン・マキ&サラマンドラ。
 ギター鬼怒無月、ベース松永孝義、ヴァイオリン勝井祐二、ベース芳垣安洋

 カルメン・マキさんは、ううんと、1年半か2年ぶりか。
 このユニットで聞いたのが最後だったか。

 すごい。
 とりわけて、鬼怒無月と勝井祐二の超絶技法にはまいどながらまいる。

 アルバムも購入。

carmenmakisalamandre.jpg
画:恒松正敏

 スカパー放映のDVDも発売。原宿で2年前に聞いたあれとは別ものらしい。お気に入り
の「たつまき」も入ってるじゃないか! どおしよう。
 とりあえず、こっちは購入はひかえる。だって、DVDデッキ、まだ持ってないから。

 同じシリーズに頭脳警察の最新ライヴ(パンタ&トシ)も入ってる。
 ううむ。コメント不能。

 なぜか、テリー伊藤の本も売ってると思ったら、『俺の巨匠―70年代の黄金期をつ
くった12人の天才クリエーターたち』(ぴあ)と題して、その中にカルメン・マキさんと浅川
マキさん。でも、フツーの読者には、この二人不思議な選択に思えるかもしれないが、
同時代を生きた立場からすると、テリー伊藤だったら当たり前すぎるくらいの感。

 ところで、知り合いに、カルメン・マキさんの名前を出すと、見事に反応がわかれるのがおかしい。

 そもそもその知り合いに若いのが入ってないというのを前提にした上での圧倒的な多数派は、フォーク歌手カルメン・マキ。しかし、寺山修司さんの仕掛けのもと、「時には母のない子のように」でソニーからデビューしたのが1969年。
 遅くとも1971年には、ロックでのライヴ活動を始めているから、フォーク歌手としての顔は2年くらいしかつづかなかったことになる。

camenmakibestcult.jpg


 そして、1972年にはOZ結成。1975年に満を持してのファースト・アルバムを発表、ライヴ中心の時期を含め、この間のカルメン・マキ&OZが、ちょっと下の世代にとってのカルメン・マキ。
 伝説のロック・グループOZのマキ、誕生である。

CarmenMakiAlbumMachi.jpg
ジャケット・イラスト:吉田カツ

CarmenMakiAlbum3.jpg

 しかし、同時代を生きていた僕も当時は意識していなかったことだが、「時には」以前にも、カルメン・マキには、歌手としての活動歴がある。
 寺山修司・羽仁進脚本、羽仁進監督の、1968年公開のATG映画『初恋 地獄篇』で、カルメン・マキは、小椋佳、荒井学とともに「唄」(作詞:寺山修司、作曲:和田誠)を担当しているとのことで、脇役として出演した1971年の同じATG映画、桃井かおりデビュー作でもある清水邦夫と田原総一朗脚本・監督の『あらかじめ失われた恋人たちよ』あたりで唄を唄っていてもちっとも不思議はない。一度たしかめてみる価値はあるだろう。
(追記:7月1日 『カルメン・マキ ベスト&カルト』<SME、SRCL4384-5>所載の黒沢進筆の解説によれば、1968年の松竹映画『日本ゲリラ時代』<森崎東監督、犬塚弘・緑魔子主演>、同じ年の松竹映画『新宿育ち』に天井桟敷の座員仲間として伊藤牧名義で出演、1969年9月の天井桟敷公演「書を捨てよ、町へ出よう」で「神さまがやってくる日」を歌う。同年10月、赤坂のディスコテーク「スペースカプセル」で寺山修司プロデュースの「カルメン・マキ真夜中の詩集」を開始。この解説にも『初恋 地獄篇』の「唄」についてはふれられていない。ヴィデオかDVDでチェック後、このblogでフォローすることにする)

 また、現在の公式サイトのプロフィルには記載されていないが、ロック・ヴォーカリストとして最初に組んだユニットは、カタカナ・ロック(^_^)のブルース・クリエーションで、こちらは早くにアルバムも出たので、当時は広く知られ、アルバムの再販もかかっているのだが、やはり、ロックのカルメン・マキというと、OZということになる。
 実は、1972年、つまり、OZ結成の年、僕は母校の大学祭の実行委員をつとめ、カルメン・マキとブルース・
クリエーションを呼んでいる。どうやら、ブルクリとのユニットと並行でOZとしての活動もしていた時期があるようだ。
 ちなみに、3日間の会期に、ほかに呼んだミュージシャンは山下洋輔トリオと浅川マキ(バックは今田勝さん)。この学園祭にマキさんを呼ぶつてとなったロック研の先輩が、OZのマネージメントを担当することになる。

 こうしてOZは、ロック史に名を残すことになるが、意外にも、その活動期間は、初アルバム発表後に限ればわずか2年、1977年に解散、ラスト・アルバムも1978年に発売されている。
 以後、LAFF、5X、MOSESとつづき、90年代のも終りごろからは、いくつものユニットでの活動を平行しておこなうようになり、今日にいたるわけで、つまり、「フォークのカルメン・マキ」も「OZのカルメン・マキ」も、実は、その長い音学歴からすれば、ごくごく短い期間のこと。

CarmenMakiAlbumUnizon.jpg

CarmenMakiAlbumSplit.jpg


 重荷といえば重荷、面倒といえば面倒なわけだが、現に今生きている存在(哲学用語では「現存在」という)としてのカルメン・マキさんは、変わることなく元気である。

 変わらないものがある 記憶 原風景
 ---
 変わらないものがある 絆 こわれないもの
 ---
 変わらないものがある 欲望 生命の声
 --
 --
 神にはなれないのだから
 せめて絶望の向こう側まで行ってみたい

                         「変わらないもの」 Words:CARMEN MAKI


 

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吉本和子 句集

YoshimotoKazuko1.jpg
装画:一原有徳

YoshimotoKazuko2.jpg
装幀:吉本多子

 さて、「海外ボツ!News」の「一人の編集室」を読んでて、ふと思い出しました。

 「そおいや、吉本さんの奥さん、句集を出したんだよな」

 と、ここで説明が必要ですな。

 吉本隆明という一人の思想家がいました。
 あっ、「いました」なぞと書くと殺されるかもしれない^^;;;;;;;。

 1960年代。共産党と反共産党、二つの左翼政治潮流の中で右往左往していた知識人層に対して、「自立」と「生活者」の二つの概念からアンチの姿勢をうちだし、大きな影響力を与えた思想家にして、詩人、文芸評論家。
 その影響力は、1970年安保を前に、「情況派」「叛旗派」という政治党派をも生んだほどのものだった。日本の学生運動の長い歴史の中で、「詩人」を導師として結成された党派は、ここくらいのものであろう。共産同(ブント)を母体とする組織の例にたがわず、二派は分裂、精確には「叛旗派」がイコール吉本派ということになるが、ここでは詳しくはふれない。
 吉本隆明の思想は、同時代の政治的党派にとどまらず、広義のインテリ全般にとってはカリスマ的存在であり、ありつづけた。
 1980年代における、高度資本主義社会に一定の評価を与えることとなり、いいかえるなら、一種の「転向」を経て、浅田彰らニューアカのお父さんとして、マスコミの寵児となる。
 ただし、その特異な歴史観、社会思想は、ニューアカ業界を支えたさまざまな人々による援護と助言にもかかわらず、プロパーなアカデミシズムの最新の評価をとりこむことなく、また、アカデミシズムの側からきちんと受容されることなく、孤高な立場にとどまっている。
 むしろ、ある時代以後は、漫画化ハルノ宵子、小説家よしもとばななの父としてのほうが知られているかもしれない。

 吉本隆明という、今やノスタルジーの対象になりかけている人物が、信奉者にとってはどのような重みを持っているかは、ほかならぬ、「海外ボツ!News」「一人編集室」における鈴みつさんの書き込みを読んでいただきたい。

 で、その「一人編集室」の書き込みを読んで思い出したのだ。


 あれっ、そういえば、吉本さんの奥さんの句集が出てたんだよな。

 現代俳句には関心があり、読みはするが「専業読者」ではない。
 好みは渡辺白泉、佐藤鬼房、三橋鷹女、中村苑子、大西泰世(川柳)といったところ。
 短歌もそうらしいが、俳句の場合には特に「詠む人」(作る人)と「読む人」(鑑賞する人)との落差が大きい。
 総合雑誌もあることはあるが、流派や結社、同人の系列ごとにわかれ、また、それを前提に寄り合い所帯的な誌面となっているので、リアルタイムではどうにもチェックしづらい。
 ましてや、吉本隆明さんの詩や定型短詩(俳句や短歌)は趣味でないときている。
 一種、予断からする偏見を持ちつつ、ネットで書誌を確認してみた。
 なに、同じ地元の文京区であることだし、公共図書館に所蔵されてたら、くらいに思ってたのである。
 結局、文京区には所蔵されていないことが判明。だが、ウェブで調べてゆくうちに、地元の図書館にあるかどうかなんて、どうでもよくなった。

 数々あった紹介ウェブ・ページであるが、うちかなりのものは、吉本隆明さんの奥さんであることを中心に触れているだけで、実際の作例をあげている例はほとんどない。
 しかし、その数少ない作例を読んで仰天した。

 6月24日に「米沢時代の吉本隆明」を読んで記憶がよみがえり、25日の「理髪店で聞いた吉本さんの様子」が駄目押しで、ウェブでのリサーチを始めたわけだから、その翌日の土曜日には、現物を手に入れようと、団子坂から旧白山通りを経る都営バスに乗り、池袋にかけつけたことになる。

 めぼしをつけたのは、東口駅ビル、セゾンの書店リブロの「ぽえむぱろーる」。詩とアヴァンギャルドな小説、まんが、映画などを専門とする書店内書店だ。

 品揃えは、リブロがバブルとその後遺症で駄目になった時代にもここだけは抜群で、「現代詩手帳」なんて、1960年代のバックナンバーが当時のままの定価で買えたりする。
 短詩型については、相対的にちょと弱いが、「読む人」がいないギョーカイだけに、大型書店ですら、新刊の句集を、網羅的とまではゆかなくとも、横断的にチェックできる場所はほかにはほとんどない。神保町でも俳句を専門に扱う古書店は、世代交代もあって、実質的になくなったも同じになっているのだ。
 で、ここで、まず、第一句集『寒冷前線』をゲット。

 つづいて、池袋ジュンク堂に行き、まず、地下のコミック・フロアで、買い損なっていた、あすなひろしの作品集をさがす。

 2000年になくなられたのち、ご遺族の関係でホームページも作られ、自費出版の作品集も発行がつづいていると知っていたからだ。

 ……、と。
 エンターブレインから、商業出版として、『青い空を、白い雲がかけてった』(「少年チャンピオン」所載)と『いつも春のよう』(青年誌作品集成)が出ているではないか。しかも、7月1日からは原画展!
 こちらもゲット。
 おお、7月10日のアメリカ版『スパイダーマン2』公開にあわせて、池上遼一版『スパイダーマン』がメディア・ファクトリーから再刊中。販促ポスター、四畳半のやけた畳の上にうつぶせになったスパイダーマンの絵柄がたまらない。


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 寺山修司が脚本を担当した羽仁進監督の『初恋 地獄篇』を思い出させる。

HatsukoiJIgokuhen.jpg
ジャケット撮影:荒木経惟

 で、上のフロアの短歌・俳句コーナーをチェック。
 ここもさすがはジュンク堂で品揃えはいい。「詠む人」のためのガイド書まで含めれば、ぽえむ・ぱろーるの三倍くらいの規模だろう。
 ここでもつづいて、第二句集『七耀 吉本和子句集』をゲット。こちらは発売元が「七耀企画」になっているが、発売元・連絡先は深夜叢書社。

 よかった。どっちも手に入らなかったら、深夜叢書社に直接ゆこうかと思ってたくらいなのだ。深夜叢書社。短歌の齋藤愼爾さんの出版社である。

 いやあ、2軒まわって、二冊ともゲットできるとは、さすが池袋。
 紀伊国屋の本店が代々木の方が近い南口に移って以来、新宿は本探しに関してはだめだめの地になりさがった。
 今は、新本だったらジュンク堂のある池袋東口に行き、こっちで駄目ならその手前の、ライヴァルの出現でかなりによくなってるリブロでチェックというのが定番。
 ここでなければ、どこに行っても店頭在庫はないと考えてよい。
 もっとも、ジュンク堂という黒船のおかげで、西口の芳林堂本社ビル店も閉店しちまったのだが。
 で、さる事情で調べることになった都筑道夫の文庫本をチェックしてから、同じバスで帰宅。
 
 バスの中で、まず、あすなひろしさんの作品集をのぞき、ふうっとため息をついてから、吉本和子さんの句集を開く。

 すごい。
 三橋鷹女のケレンはない。中村苑子のぎりぎりにまで凝縮された、浅川マキのアルバム・タイトルにならって「ダークネス」と呼ぶべき暗さもない。

 さりげない。
 日常を日常のままに詠んでいる。
 だがしかし、日本の現代俳句における、宿業とでも呼ぶべき、「女流」の「台所俳句」の系譜からは無縁である。
 つっぱりつづけて壊れてしまった杉田久女、「癇症」とまで形容すべき鷹女の孤絶さ、どちらとも無縁で、しかも、ひそやかな表現の影には表現者の苛烈な精神が見える。

 専業読者ではないがゆえに、現代俳句の水準というものはよくわからないが、発刊たちまちその世界の話題になったのは当然だろう。

 解説で、俳人の宗田安正さんは、
「一見幼そうですが」「それぞれの表現も、もちろん細かい傷を見つけることはたやすいかも知れませんが、抑制すべきところはきちんと抑えられており、俳句として読める表現になっています」
 と、かなり手厳しい評価を一方でくだしながら、もう一方では、
「ここには杉田久女の教養の誇示もなく、橋本多佳子の媚態もなく、三橋鷹女の気負いもなく、しかも中村汀女や星野立子の日常レベルにとどまらず、かつそれらのすべてを踏まえた、しなやかで豊かな成熟した知的な女性の生活=精神があります」
 とまで絶賛しています。
 そもそも、比較する女性俳人のレヴェルが違う。
 日本の現代俳句史における巨峰と呼ぶべき女性俳人の面々と比べてもすぐれると、宗田さんは言っているわけなのだ。

 で、その作品は--。

 コンクにコンクを重ねた第一句集に比べると、第二句集は密度がいささかうすまっているが、しかし、台所俳句になりそうなぎりぎりのところがすごい。コンクさがうすれた点は、「捨てた」作と句集におさめたものとのギャップがすごいだろうなと思わせる、寡作で知られた中村苑子さんとの違いであり、ここだけについて言えば、ばんばん捨てるように詠んでいった三橋鷹女とも共通しているかもしれない。

 具体的な作例となると、悩むが、ここではあえて、次の五句を紹介しよう。

 去る肩に推理とどかぬ五月闇
 盆提灯悔いのみ残る死がふたつ
 黒蝶や帰る空なく黒く舞う
 挫折のみ語りていきぬ夏座敷
 医学辞典めくる指より梅雨の闇
 童女羽化母となる夜の星祭り

 実は、宗田さんの「幼い」「細かい傷」という評価はこの五句に対するもの。今、読み直して、完成された句集の、とりわけ第二句集の表現と比べると確かにあたっているかもしれない。
 なにしろ、この五句、和子さんにとっては、生涯七十年近くで最初に印刷物となった俳句作品なのだから。

 短歌ならともかく、句作に詠み手の人生を重ねるという読み方は趣味ではないのだが、しかし、これらの句は、そういった生臭い裏読みをスコーンとふっとばすだけの質を持っている。

 凩はつねに左の肺を吹く

 詩人にして思想家の吉本隆明と結婚、ひとつ屋根の下に二人の表現者はいられないと言われ、病弱な身でありながら、「試行」発行事務など、彼の活動のバックアップに徹し、吉本ばなな、ハルノ宵子の二人の娘を育てる。
 一九九六年、齋藤愼爾さんや宗田安正さんが中心の句会と同人句誌の活動に参加、発行部数二十部の句誌「秋桜」に最初によせたのが、上の五句だったのである。
 第一句集の栞に一文を寄せている黒田杏子さんは、齋藤さんから「句集を読めば、みんな驚くよ」と言われたというが、そりゃあ驚きます。

 句作をはじめた時期と、パートナーである吉本隆明さんの表現者としての仕事に、明らかな「老い」が見えはじめた時期との一致とか、吉本隆明論としての深読みも可能だが、むしろ注目すべきは、三橋鷹女の表現を借りれば「老いてなお」詠むことを選んだその選択が、中村苑子という現代俳句史の究極の到達点の、その人生とも重なることだろう。

 第一句集にそえられた栞は、さながら吉本和子応援団といったもので、吉本家おなじみの美容院のおかみさんも一文を寄せている。

 しかし、第二句集は、俳人としての評価の定着を物語るのだろう、帯によしもとばななの「私はこの才能のどのくらいを受け継ぐことができたのだろうか」とあるのみで、解説の齋藤愼爾さんも「吉本家では」と触れ、吉本隆明さんの一文を引用し、さりげなく暗示するのみ。
 この解説では、吉本隆明の妻であることではなく、漱石の「崖下の家」のような生活をする、東京生まれの東京育ちたる女性の、その生活者としての側面から、作品が論じられている。
 まあ、漱石の「崖下の家」(『門』)は小石川近辺であるのに対して、実際の吉本家は本郷台地の上の平地、古い古いお寺の吉祥寺のすぐ近くだったりするのであるが。
 ちなみにぼくの通いの医院は、吉本家のある一角から、通りをはさんでゆるい坂を下ったところにある。

 団子坂を下って床屋にゆき、谷中の墓地で隆明さんのお仲間や近所の知り合いと花見をし、ミステリー好きで、彗星到来と知るや知人に電話をかけて、ぜひとも星見をしなさいと言い、ちょうど俳句と同じように、ただし、こちらはも少し前にカルチャー講座でパステル画を学び、入院先になじみの床屋のおかみさんをよんで車椅子姿で散髪をして、ころころと笑う。

 そんなひとがこんな句を詠むのだ。

 火の外の闇へ舟漕ぐ薪能
 蝶あまた群るる夢なか吾も蝶
 桃買いに黄泉の比良坂下り入る

 第一巻にそえられた栞には、あじさいの花に囲まれた、娘さんといっしょのスナップ写真が掲載されている。
 白山神社のあじさい祭りは先週まで。

 凩はつねに左の肺を吹く

 「肺病」という言葉の持つ意味を本当の意味で実感できるものたちもまた、数少なくなってきている。

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MyYahoo!と「海外ボツ!News」

 ウェブへの接続後のポータル画面には、ここんところ、MyYahoo!という、Yahoo!のサーヴィスで、ニュースや天気予報などの自分で選んだ機能を一覧できるページを使っている。

 ためしに、その画面を表示してみた。
 Yahoo!メールにSPAMが一通、見えているが、これは消してからも、いったん、落ちないと表示したままになるようだ。

tadnang1.jpg

で、まずは、Yahoo!メール(blogなどウェブ上での連絡のみ)をチェック。最
近は特定のキーワードで、メール形式による新しいニュース通知サービスも使っているのだが、ブール代数による絞込みがまだ不充分で、あまり役に立たない。
 GoogleNewsの日本語環境向けサーヴィス開始に期待したい。

 にしても、日本語版Yahoo!ニュースでピックアップされる率、最近、「中国情報局」の配信部門、サーチナのネタが多いのはなぜだろう? 中国のタレント芸能人の情報、リアルタイムで見せられてもなあ。ソフトバンクだったら、韓国ネタをもっと増やしてあってもいいと思うのだが、受けてるしね。

 ニュースで分類ごとに登録してあるのは、ローカルな郷里のそれ。それから、コンピューター関係。Yahoo!だと、ITmedia、CNET、MYCOM、WIREDからの配信が多いが、別口で、お気に入りにコンピューターがらみで登録してあるのは、WIRED NEWS(日本語版)、ITmediaASCII24あたり。CNETはなぜか、やたらに重いのでパス。

 WIREDは、業界的ニュース、しかも、国内のそれは苦手だが、本家が本家なので、ポップなカルチャーがらみのネタが豊富で、しかも、翻訳のペースが早い。ここで疑問に思うと、即、英語版にとんでチェックである。
 もっとも、ビジネス指向ゴリゴリに見えながらマニアックなネタでの遊びがナイス(笑)なのは、ITmediaウェラブル・ロボット/パワード・スーツを含むロボット・ネタもいいし、最近では飛行船モデル完成までの感動ルポがなかせてくれる。ガンヲタの人口密度も高いようだ

 一般的な最新ニュースで、英語がからむとなると、最近、愛用はGoogleNews。各社のニュースをまとめているのだが、個人的な印象としては、CNNよりも使い勝手がいい。

 英文のトンデモとなると、Yahoo!本家のOddly Enoughと、ここから、ReuterやReuterUK、AP、AFPのトンデモ・ニュースに跳ぶという手もあるが、最近はあまりのぞいていない。なぜかというと……、

 ここのところ、MyYahoo!でウェブにアクセス、ざっとニュースを見てからまず最初にのぞくのは、知る人ぞ知る、裏ニュース・サイト、

海外ボツ!News

botsu.jpg
海外ボツ!News

 東京のさる日刊夕刊紙(って、関東では該当紙は2つだけ)の外信担当者が、文字通り、誌面掲載ボツになったネタを、文字通り、毎日アップしているもの。
 なにしろ夕刊誌なので、掲載候補となる外信ネタは山ほどあるのに、掲載されるのはごく一部というわけで、その選択眼は、やあらかいほおもカタイほお抜群。
 ほかでは読めないトンデモなネタの宝庫である。

 直接のリンクはしてないけど、運用してる鈴みつさんの個人サイトは「D坂髑髏亭」。なにやらあやしげな名称というか、ミステリー・ファンならすでにおわかりのとおり「D坂」は「団子坂」で、江戸川乱歩ゆかりの地の名前。会ったことはないが、つまり、僕とはご近所にお住まいということになる。
 このサイトでは、「闇の奥」と題した映画『地獄の黙示録』ページと『ゴッドファーザー』関連ページは読みごたえあり。
 このサイトには、「海外ボツ!News」からたどりついた方々多数も書き込んでいる掲示板もあるが、上記の理由で、あえて名称もアドレスもここでは載せない。

 さて、「海外ボツ!News」には、ボツ記事、ボツ写真に加えて「一人の編集室」というのがあって、ここが運営者のエッセイに相当するページ。
 さて、先日、そこへのひさかたぶりの書き込みに、へえっと思ってということで、次のアップに続くのであった。

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