
装画:一原有徳

装幀:吉本多子
さて、「海外ボツ!News」の「一人の編集室」を読んでて、ふと思い出しました。
「そおいや、吉本さんの奥さん、句集を出したんだよな」
と、ここで説明が必要ですな。
吉本隆明という一人の思想家がいました。
あっ、「いました」なぞと書くと殺されるかもしれない^^;;;;;;;。
1960年代。共産党と反共産党、二つの左翼政治潮流の中で右往左往していた知識人層に対して、「自立」と「生活者」の二つの概念からアンチの姿勢をうちだし、大きな影響力を与えた思想家にして、詩人、文芸評論家。
その影響力は、1970年安保を前に、「情況派」「叛旗派」という政治党派をも生んだほどのものだった。日本の学生運動の長い歴史の中で、「詩人」を導師として結成された党派は、ここくらいのものであろう。共産同(ブント)を母体とする組織の例にたがわず、二派は分裂、精確には「叛旗派」がイコール吉本派ということになるが、ここでは詳しくはふれない。
吉本隆明の思想は、同時代の政治的党派にとどまらず、広義のインテリ全般にとってはカリスマ的存在であり、ありつづけた。
1980年代における、高度資本主義社会に一定の評価を与えることとなり、いいかえるなら、一種の「転向」を経て、浅田彰らニューアカのお父さんとして、マスコミの寵児となる。
ただし、その特異な歴史観、社会思想は、ニューアカ業界を支えたさまざまな人々による援護と助言にもかかわらず、プロパーなアカデミシズムの最新の評価をとりこむことなく、また、アカデミシズムの側からきちんと受容されることなく、孤高な立場にとどまっている。
むしろ、ある時代以後は、漫画化ハルノ宵子、小説家よしもとばななの父としてのほうが知られているかもしれない。
吉本隆明という、今やノスタルジーの対象になりかけている人物が、信奉者にとってはどのような重みを持っているかは、ほかならぬ、「海外ボツ!News」「一人編集室」における鈴みつさんの書き込みを読んでいただきたい。
で、その「一人編集室」の書き込みを読んで思い出したのだ。
あれっ、そういえば、吉本さんの奥さんの句集が出てたんだよな。
現代俳句には関心があり、読みはするが「専業読者」ではない。
好みは渡辺白泉、佐藤鬼房、三橋鷹女、中村苑子、大西泰世(川柳)といったところ。
短歌もそうらしいが、俳句の場合には特に「詠む人」(作る人)と「読む人」(鑑賞する人)との落差が大きい。
総合雑誌もあることはあるが、流派や結社、同人の系列ごとにわかれ、また、それを前提に寄り合い所帯的な誌面となっているので、リアルタイムではどうにもチェックしづらい。
ましてや、吉本隆明さんの詩や定型短詩(俳句や短歌)は趣味でないときている。
一種、予断からする偏見を持ちつつ、ネットで書誌を確認してみた。
なに、同じ地元の文京区であることだし、公共図書館に所蔵されてたら、くらいに思ってたのである。
結局、文京区には所蔵されていないことが判明。だが、ウェブで調べてゆくうちに、地元の図書館にあるかどうかなんて、どうでもよくなった。
数々あった紹介ウェブ・ページであるが、うちかなりのものは、吉本隆明さんの奥さんであることを中心に触れているだけで、実際の作例をあげている例はほとんどない。
しかし、その数少ない作例を読んで仰天した。
6月24日に「米沢時代の吉本隆明」を読んで記憶がよみがえり、25日の「理髪店で聞いた吉本さんの様子」が駄目押しで、ウェブでのリサーチを始めたわけだから、その翌日の土曜日には、現物を手に入れようと、団子坂から旧白山通りを経る都営バスに乗り、池袋にかけつけたことになる。
めぼしをつけたのは、東口駅ビル、セゾンの書店リブロの「ぽえむぱろーる」。詩とアヴァンギャルドな小説、まんが、映画などを専門とする書店内書店だ。
品揃えは、リブロがバブルとその後遺症で駄目になった時代にもここだけは抜群で、「現代詩手帳」なんて、1960年代のバックナンバーが当時のままの定価で買えたりする。
短詩型については、相対的にちょと弱いが、「読む人」がいないギョーカイだけに、大型書店ですら、新刊の句集を、網羅的とまではゆかなくとも、横断的にチェックできる場所はほかにはほとんどない。神保町でも俳句を専門に扱う古書店は、世代交代もあって、実質的になくなったも同じになっているのだ。
で、ここで、まず、第一句集『寒冷前線』をゲット。
つづいて、池袋ジュンク堂に行き、まず、地下のコミック・フロアで、買い損なっていた、あすなひろしの作品集をさがす。
2000年になくなられたのち、ご遺族の関係でホームページも作られ、自費出版の作品集も発行がつづいていると知っていたからだ。
……、と。
エンターブレインから、商業出版として、『青い空を、白い雲がかけてった』(「少年チャンピオン」所載)と『いつも春のよう』(青年誌作品集成)が出ているではないか。しかも、7月1日からは原画展!
こちらもゲット。
おお、7月10日のアメリカ版『スパイダーマン2』公開にあわせて、池上遼一版『スパイダーマン』がメディア・ファクトリーから再刊中。販促ポスター、四畳半のやけた畳の上にうつぶせになったスパイダーマンの絵柄がたまらない。

寺山修司が脚本を担当した羽仁進監督の『初恋 地獄篇』を思い出させる。

ジャケット撮影:荒木経惟
で、上のフロアの短歌・俳句コーナーをチェック。
ここもさすがはジュンク堂で品揃えはいい。「詠む人」のためのガイド書まで含めれば、ぽえむ・ぱろーるの三倍くらいの規模だろう。
ここでもつづいて、第二句集『七耀 吉本和子句集』をゲット。こちらは発売元が「七耀企画」になっているが、発売元・連絡先は深夜叢書社。
よかった。どっちも手に入らなかったら、深夜叢書社に直接ゆこうかと思ってたくらいなのだ。深夜叢書社。短歌の齋藤愼爾さんの出版社である。
いやあ、2軒まわって、二冊ともゲットできるとは、さすが池袋。
紀伊国屋の本店が代々木の方が近い南口に移って以来、新宿は本探しに関してはだめだめの地になりさがった。
今は、新本だったらジュンク堂のある池袋東口に行き、こっちで駄目ならその手前の、ライヴァルの出現でかなりによくなってるリブロでチェックというのが定番。
ここでなければ、どこに行っても店頭在庫はないと考えてよい。
もっとも、ジュンク堂という黒船のおかげで、西口の芳林堂本社ビル店も閉店しちまったのだが。
で、さる事情で調べることになった都筑道夫の文庫本をチェックしてから、同じバスで帰宅。
バスの中で、まず、あすなひろしさんの作品集をのぞき、ふうっとため息をついてから、吉本和子さんの句集を開く。
すごい。
三橋鷹女のケレンはない。中村苑子のぎりぎりにまで凝縮された、浅川マキのアルバム・タイトルにならって「ダークネス」と呼ぶべき暗さもない。
さりげない。
日常を日常のままに詠んでいる。
だがしかし、日本の現代俳句における、宿業とでも呼ぶべき、「女流」の「台所俳句」の系譜からは無縁である。
つっぱりつづけて壊れてしまった杉田久女、「癇症」とまで形容すべき鷹女の孤絶さ、どちらとも無縁で、しかも、ひそやかな表現の影には表現者の苛烈な精神が見える。
専業読者ではないがゆえに、現代俳句の水準というものはよくわからないが、発刊たちまちその世界の話題になったのは当然だろう。
解説で、俳人の宗田安正さんは、
「一見幼そうですが」「それぞれの表現も、もちろん細かい傷を見つけることはたやすいかも知れませんが、抑制すべきところはきちんと抑えられており、俳句として読める表現になっています」
と、かなり手厳しい評価を一方でくだしながら、もう一方では、
「ここには杉田久女の教養の誇示もなく、橋本多佳子の媚態もなく、三橋鷹女の気負いもなく、しかも中村汀女や星野立子の日常レベルにとどまらず、かつそれらのすべてを踏まえた、しなやかで豊かな成熟した知的な女性の生活=精神があります」
とまで絶賛しています。
そもそも、比較する女性俳人のレヴェルが違う。
日本の現代俳句史における巨峰と呼ぶべき女性俳人の面々と比べてもすぐれると、宗田さんは言っているわけなのだ。
で、その作品は--。
コンクにコンクを重ねた第一句集に比べると、第二句集は密度がいささかうすまっているが、しかし、台所俳句になりそうなぎりぎりのところがすごい。コンクさがうすれた点は、「捨てた」作と句集におさめたものとのギャップがすごいだろうなと思わせる、寡作で知られた中村苑子さんとの違いであり、ここだけについて言えば、ばんばん捨てるように詠んでいった三橋鷹女とも共通しているかもしれない。
具体的な作例となると、悩むが、ここではあえて、次の五句を紹介しよう。
去る肩に推理とどかぬ五月闇
盆提灯悔いのみ残る死がふたつ
黒蝶や帰る空なく黒く舞う
挫折のみ語りていきぬ夏座敷
医学辞典めくる指より梅雨の闇
童女羽化母となる夜の星祭り
実は、宗田さんの「幼い」「細かい傷」という評価はこの五句に対するもの。今、読み直して、完成された句集の、とりわけ第二句集の表現と比べると確かにあたっているかもしれない。
なにしろ、この五句、和子さんにとっては、生涯七十年近くで最初に印刷物となった俳句作品なのだから。
短歌ならともかく、句作に詠み手の人生を重ねるという読み方は趣味ではないのだが、しかし、これらの句は、そういった生臭い裏読みをスコーンとふっとばすだけの質を持っている。
凩はつねに左の肺を吹く
詩人にして思想家の吉本隆明と結婚、ひとつ屋根の下に二人の表現者はいられないと言われ、病弱な身でありながら、「試行」発行事務など、彼の活動のバックアップに徹し、吉本ばなな、ハルノ宵子の二人の娘を育てる。
一九九六年、齋藤愼爾さんや宗田安正さんが中心の句会と同人句誌の活動に参加、発行部数二十部の句誌「秋桜」に最初によせたのが、上の五句だったのである。
第一句集の栞に一文を寄せている黒田杏子さんは、齋藤さんから「句集を読めば、みんな驚くよ」と言われたというが、そりゃあ驚きます。
句作をはじめた時期と、パートナーである吉本隆明さんの表現者としての仕事に、明らかな「老い」が見えはじめた時期との一致とか、吉本隆明論としての深読みも可能だが、むしろ注目すべきは、三橋鷹女の表現を借りれば「老いてなお」詠むことを選んだその選択が、中村苑子という現代俳句史の究極の到達点の、その人生とも重なることだろう。
第一句集にそえられた栞は、さながら吉本和子応援団といったもので、吉本家おなじみの美容院のおかみさんも一文を寄せている。
しかし、第二句集は、俳人としての評価の定着を物語るのだろう、帯によしもとばななの「私はこの才能のどのくらいを受け継ぐことができたのだろうか」とあるのみで、解説の齋藤愼爾さんも「吉本家では」と触れ、吉本隆明さんの一文を引用し、さりげなく暗示するのみ。
この解説では、吉本隆明の妻であることではなく、漱石の「崖下の家」のような生活をする、東京生まれの東京育ちたる女性の、その生活者としての側面から、作品が論じられている。
まあ、漱石の「崖下の家」(『門』)は小石川近辺であるのに対して、実際の吉本家は本郷台地の上の平地、古い古いお寺の吉祥寺のすぐ近くだったりするのであるが。
ちなみにぼくの通いの医院は、吉本家のある一角から、通りをはさんでゆるい坂を下ったところにある。
団子坂を下って床屋にゆき、谷中の墓地で隆明さんのお仲間や近所の知り合いと花見をし、ミステリー好きで、彗星到来と知るや知人に電話をかけて、ぜひとも星見をしなさいと言い、ちょうど俳句と同じように、ただし、こちらはも少し前にカルチャー講座でパステル画を学び、入院先になじみの床屋のおかみさんをよんで車椅子姿で散髪をして、ころころと笑う。
そんなひとがこんな句を詠むのだ。
火の外の闇へ舟漕ぐ薪能
蝶あまた群るる夢なか吾も蝶
桃買いに黄泉の比良坂下り入る
第一巻にそえられた栞には、あじさいの花に囲まれた、娘さんといっしょのスナップ写真が掲載されている。
白山神社のあじさい祭りは先週まで。
凩はつねに左の肺を吹く
「肺病」という言葉の持つ意味を本当の意味で実感できるものたちもまた、数少なくなってきている。
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