つい先日、出先で緊急入院、三日ほどは、酸素マスクつけて、心電モニターのピコンピーピコラってな音を聞きながら、あっちに行きかけてたりしてしまったのであります。
ナースセンターのすぐ横ってことは、集中管理までははるか及ばずとも、いつ何があってものひとたち集めた部屋に入れられたわけで、まじにやばかったんですな。
もっとも、三日後には、センターからいちばん遠い大部屋、ってことは、退院はまだまだおぼつかないが、手間はさしてかからぬ患者向けの部屋に移されて、一日八時間は点滴つけっぱなしとはいえ、すぐに自力で歩きまわれるようになったのであるが。
季節はもちろん春。場所は世間でいうリゾート地。高台にある病室の、山側に向けられた窓の外には、満開の桜。
桜といえば、その下には死体が埋まってるのがつきもの。「死」と「桜」ってのは、日本の危ない「伝統文化」だったりもするのですが、ここんとこは本筋の話の伏線。
さて、病後、リハビリもかねて、遅ればせながら、『イノセンス』観てきました。
引用の嵐を聞き飛ばしてると、
「あれれれれ、もしかして今の、中村苑子?」
聞きとばしってって書いたけど、別に引用元があらかたわかってのことではない。
なんか、押井さんに対するばかげた過大評価と、ふんでもって、カルチャー通気取りの年いったオタクの自慢話が横行してるふしがあるけど、あの引用の嵐、そんなに奥深いわけでもないし、押井さんの世代にとっては基本常識=基礎教養ってのもウソ。ミルトンやデカルト、ウェーバーなどなど。同世代であり、同じSF好きで、1970年前後のあの時代の気分を共有してるから、引用元のおおよその見当はつく。ただし、前後の雰囲気で、なんとなくの見当だけ。
おそらく、押井さん自身も、ええと、こんなん科白あったよなあ、と、ゴソガサ本を積みあげてはひっかきまわしつつ、シナリオを書いたのでしょう。
きっと楽しかったでありましょうな。
などと思いつつ、家に帰ると、さっそく、ググルってみたら、
あっ、「俳句」について根本から誤解して、原典を紹介してるひとがいて、しかも、それをコピペしてる連中が山ほどいる。一瞬、「凧なにもて死なむあがるべし」「麗かや野に死に真似の遊びして」も、『イノセンス』で引用されてたのかと、自分の記憶力に自信がなくなるとこだったじゃないか~_~;)。
いわゆる「俳句」は、その原型の「俳諧の連歌」とは違って、五七五で完結、俳諧の連歌冒頭の「発句」を独立して鑑賞するようになったものを、正岡子規が「俳句」と命名したのだ。複数の詠み手が、五七五、七七、五七五と続けてく「俳諧の連歌」の現在の呼び名は「連句」。「連詩」というのもある。
だから、決して、一人の俳人の作品に、上の二句のようなんがそのままつづいてくわけじゃないし、「春の日や」以下三つの句が収録された句集『水妖詞館』(俳句評論社、1970)の中でも、順番には並んでない。
この書き込みするんで、再確認してみたら、さすがに安易なコピペのページはほとんどなくなってたけど、逆に誤解の原因となったページはそのまま。
おまけにさあ、「凧」は「いかのぼり」と読むのです。「なぎ」でも「たこ」でもありません。だって、これは教養の問題じゃなくって、上記の原典にちゃんと「いかのぼり」とフリガナがしてあるんだから。
で、おかげさまで、リハビリもかねて、家じゅうに堆積した本の山をガサコソあさって、ひさしぶりに句集のかずかずなんぞを読みふけっております。
長く入手がむずかしかった中村苑子さんの句集も、1990年代には再編集版が刊行されてよみやすくなったかなと思ったら、あれりゃ、単独の句集で、新刊として入手できるのは二つだけなのか。
中村苑子、『中村苑子句集』、高橋順子編、芸林21世紀文庫、2002.
中村苑子、『白鳥の歌 中村苑子句集』、ふらんす堂、1996。
句集ってのは、初刊の部数が少ないから図書館でも読むのもむずかしいので、1980年以来の新刊を検索できる、TRC(図書流通センター)のブックポータルをあたって上で近くの図書館でさがしてもらいたいな。
網羅的なリストというと、国会図書館の検索でもあたるしかないけど、幸いにも、芸林社21世紀文庫版は、第一句集『水妖詞館』や第二句集『花狩』と主要作品を収録した「花神コレクション」版『中村苑子』(花神社、1994)ならびに『花隠れ』(花神社、1996)を定本にしたものとのこと。
というわけで、改めて読み直した中から、中村苑子さんのほかの句をいくつか紹介すると、
流木を渉るものみな燭を持ち
門火焚くやあまたの父ら濡れて立つ
桃の木や童子童女が鈴なりに
おんおんと氷河を辷る乳母車
いやすごいですね。
目をほかに移して、「乳母車」なら、橋本多佳子のこんな句も。
乳母車夏の怒涛に横向きに
はじめて読んだときには、中島みゆきの「見返り美人」と「土用波」を思い出してしまいました。
橋本多佳子なら、単独の句集ならびに全集は新刊では入手できないが、『橋本多佳子 三橋鷹女集』(津田清子選、「現代俳句の世界」11、朝日文庫、1984)が、公立図書館などで、比較的手軽に借りられるはず。
ちなみに、「東京都の図書館 横断検索」で調べると、2巻構成の全集『橋本多佳子全集』(立風書房、1984)は、5館に収蔵。意外なことに都立図書館は、多摩図書館にしか置いてません。
都内なら、近くの区立市立図書館経由で隣接の協力図書館、都立図書館からの取り寄せが可能なので、まずは文庫版の方からお試しを。東京以外でも府県や精励指定都市単位での横断検索やってるところあるし、同様のサービスがあるはずであります。
で、中村苑子の心の師、三橋鷹女なら、
この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉
女一人佇てり銀河を渉るべく
千万年後の恋人へダリヤ剪る
やはり、『三橋鷹女全集』(立風書房、1984)は品切れ。好適は、ほとんどすべての句を集録した、上記、橋本多佳子と同じ文庫の、『橋本多佳子 三橋鷹女集』(中村苑子選、「現代俳句の世界」11、朝日文庫、1984)がおすすjめ。
そして、偉大なる先達中村苑子から、その志を継ぐものと絶賛された「俳人」なら
ぬ「柳人」(「川柳」のひと)大西泰世には、こんな作も。
まばたけば億年の蒼見失う
終末はくるかも知れず野は葡萄
つぎの世へ転がしてゆく青林檎
火柱の中に私の駅がある
なにほどの快楽か大樹揺れやまず
花のくび樹の首やがて男の頸(くび)
藤房の両性具有して揺れず
肉体というやっかいなもの藤袴
満月の椅子少年を欲しがりぬ
冒頭の句、音韻からすれば、「蒼」は「あお」ではなく、「そう」と読むのが正し
いはずです。為念。
このひとの作品、ネットだと間違って引用してるとこが多いのでご注意を。たとえば、アナタのとこのサイトですよ、イトイさん。
入手可能な句集は、げげげ、なくなってる。都内だと隣接協力館を使えば、ほぼどこでも取り寄せが可能かな。以下、三冊が刊行されてます。
『椿事』(砂子屋書房、1983)、『世紀末の小町』(砂子屋書房、1989)、『こいびとになってくださいますか』(立風書房、1995)。
てなわけで、『イノセンス』から始まって、やおいネタで落ちがつきました。ちゃんちゃん。
PS。へへへへへへ中村苑子第二句集『花狩』限定五百八十冊中第三二一番本、持ってるもおん。
付記(6月3日)
中村苑子、『中村苑子句集』、高橋順子編、芸林21世紀文庫、2002.
なんですけど、現物にあたってみたら、いわゆる袖珍版で、新書より小さなサイズのダイジェスト本でした。
となると、
じゃあ、
中村苑子、『白鳥の歌 中村苑子句集』、ふらんす堂、1996。
は、どうかいうと、77ページでこっちも豆本かあ。
正直、ショックです。せっかく、『イノセンス』のおかげで、俳句知らないひとにも、少しは存在が知られるようになったかと思ったのに……。
さらなる付記(6月4日)
別件でbk1の検索がいいかげんなことが判明。アマゾンで調べなおしてみると、
『中村苑子』、「花神コレクション」、花神社、1995.
『花隠れ』、花神社、1997。
の2点の注文が可能であることが判明(書き方が疑心暗鬼になってる)。
万歳、この二つを抑えれば、中村さんのお仕事のほぼ全容がわかります。
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